Moody Crossing

気分屋交差点

みんな世界の果てに居る。地球のこと。

はじめに

ごきげんよう。さっこ(id:moody-theory-sakko)です。
また、どうでも良い話だよ。

先日、お風呂に入っていたら、「ババア、バーバル、バルバロイ」という、呪文のような罵倒を思いついたですよ。
どこからともなく。

「ババア」は婆。バーバルは「verbal」=「言語的な」。「バルバロイ」は、なんだっけ? 世界史で出てきたな、と思ったけど、その時は、忘れちゃった。
だけど、さっき風呂で、また思い出して、調べたら、昔のギリシア人の他民族に対する呼称で、「聞きづらい言葉を話す者」「訳の分からない言葉を話す者」という意味らしい。

中心に自分たちを据え、周辺地帯の人たちを、そのように呼んでたみたいな感じなのかなぁ?

遠くとは。世界の果てとは。

世界の果ては自分の傍。自分と外界をへだてる皮膚。

それで、話は飛ぶけど、以前、こんなことを思ってたのを思い出した。


「遠く」
世界の果ては、地球が丸くなって以来、
自分の傍のことをさすようになった。

(わたしのメモ)

これは、よーくよく思い出してみるに、安部公房の『壁』の影響を受けている。

というわけで、探す!

発見!

どこだ?どこだ?
あった! せむしのセリフだ。たぶん。

「さて、ずっと以前、と申しましても、みなさんがこの世に存在するよりはまだ昔のことです。地球がまだ平たい板で四頭の白象に支えられているとか考えられていたころ……、世界の果、それは当然極度に密度の拡散した周辺地帯として解釈されていました。しかし、現代、地球が球体になってこのかた、すっかり事情が変ったのはみなさんも御承知のとおりです。すなわち、世界の果という概念も、むしろその言葉のもつニュアンスとまったく逆の相貌を呈してきた。つまり、地球がまるくなったので、世界の果は四方八方から追いつめられ、そのあげくほとんど一点に凝縮してしまったのですね。お分かりでしょうか? もっと厳密に言えば、世界の果はそれを想う人たちにとって、もっとも身近なものに変化したわけなのです。言いかえると、みなさん方にとっては、みなさん自身の部屋が世界の果で、壁はそれを限定する地平線にほかならぬ。現代のコロンブス的旅行者が船を用いないのも、うべなるかな! 真に今日的な旅行くものは、よろしく壁を凝視しながら、おのれの部屋に出発すべきなのであります。」

安部公房『壁』第一部 S・カルマ氏の犯罪 新潮文庫 pp.110-111

ちょっと、「世界の果は四方八方から追いつめられ」というところを、違うふうに考えたっぽいけど、ほぼ同一というか、20年くらい前に読んで、ほうほう! とインプットされたものが、わたし流に咀嚼され、アウトプットされたのが、さっきのメモと思います。

とりあえず、自分の傍、安部公房の言う部屋の壁、いや、わたしの思うのは、「わたし」の「皮膚」、外界との境目が、この世で、いちばん遠い、世界の果てに、なってしもた気がします。遠くへ行こうと思えば思うほど。

地球が丸くなったから? いや、しらんけど!

もういっちょ。天動説から地動説へのパラダイムシフト。

絵本3冊まとめ読みのいっしょくた感想メモ。

これはね、ピーター・シス『星の使者 ガリレオ・ガリレイ』、安野光雅『天動説の絵本』、ギョーム・テプラ『地球のかたちを哲学する』を読んで、うずらぼんやり考えたこと。


パラダイムシフト。
その時代や分野において、当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的に、もしくは、劇的に変化すること。

天動説と地動説。
地動説が実証されたからといって、天動説が劣っていたというわけではない。天動説という世界・枠組みにおける調和は、今でも美しいし魅力的だ。

パラダイムシフト前と後の、それぞれの価値観に善悪や優劣をつける行為は、とても危うい行為なのだろう。

人は誰もが皆、何らかの枠組みの中で、何らかの価値観を持って、生きていかざるを得ない。

自分がいるその枠組みにおける「例外」を察知し、排除しないことを心がけるということが大切なのではなかろうか。

(わたしのメモ)

また、例外を察知して、解明しようとしたら、ガリレオのように、真実にたどり着くことが出来るのかもだね。

いやぁ。わたし、ばりばりの文系だから、観測の仕方なんか、一切しらんけど!

考え事。地球が丸く、しかも動いていて、世界の果ての位置、体感が変わってしまったことから。

ババア・バーバル・バルバロイのような、昔風な感覚の罵倒も、悪くないね。

なぜなら、世界や自分が、地上の四方八方へ、拡大している感じがするから。
バルバロイなんて、世界の果てが自分の傍にあることに、気づいてしまったら、使える言葉ではないから。

この先、もっと遠くへ行きたい人は、地上の世界の果てではなく、お空の果てへ向かうのか。

地上という平面から、垂直方向に関心が向いて、ロケット飛ばしたりとか?
だったら、マントルまで穴を深掘る方が、わたしは愉快だけれども。

おわりに

なんだか、よく分からない話になってきちゃったけど、ちょっと眠いからだと思います。

でも、例えば、世界の果てに無関心だったり、傷つけることを厭わなかったり、それは、よろしくないなぁ、とか、いろいろ去来中。

最後に、本のリンクをば。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

星の使者―ガリレオ・ガリレイ

星の使者―ガリレオ・ガリレイ

天動説の絵本―てんがうごいていたころのはなし

天動説の絵本―てんがうごいていたころのはなし

地球のかたちを哲学する

地球のかたちを哲学する








おしまい。
ばいならヾ(・ω・o)