Moody Crossing

気分屋交差点

おばあちゃんはボケちゃった。夏蜜柑マーマレードの歌とか。

お題「おばあちゃんの思い出」

ごきげんよう。さっこ(id:moody-theory-sakko)です。
母方の祖母も健在だけど、父方の祖母(87)について書いてみます。

祖母は、今は、完全に認知症が進み、一昨年から特養に入っていて、わたしのことも分からないし、息子である父や叔父のことも分からない。
特養に入ってから、デイサービスに行っていた頃のような、ご機嫌・不機嫌などの感情の表出もなくなってしまった気がします。
ずっと、うつらうつらしてます。


13年前に祖父が亡くなりました。
一人で住んでいたけど、10年くらい前から、うちの近所のアパートに移ってきてた。
持病の糖尿の薬の服薬を間違えて具合が悪くなり、何度も、父が車を片道1時間飛ばして行ったりしてたけど、ある日、悪い人に騙されて、消火器を大量に買わされたのが、最終的な呼び寄せのきっかけだったみたい。
わたしは、当時、実家から離れ、京都で働いていて、伝聞でしか、よく事情が分からない。
ただ、12年くらい前、祖父の墓参りに行くのに、京都から帰った時、料理上手の祖母のスパゲティが、茹ですぎだったし、あちこちにメモが貼られていて、「どうしたの?」「なんだか、忘れちゃってね、書いておかないと」て。

9年前、わたしは、実家に戻り、わたしまでも病気になってたわけだけれど(うちの両親、踏んだり蹴ったりだなぁ)、祖母はその頃は、自分が認知症であると診断されて、とても悩み、うつ状態だったみたくて、パキシルを処方されていた。
まだ、会話は出来たけど、ちょっと前の過去を忘れてしまうし、言葉が出てこなくなって、忘れないようにメモを取ろうにも、文字も書けなくなっていった。
空焚きをしたり、謎な料理を作っちゃうから、アパートのガスコンロには、ガムテープが貼られてた。
夜は父が泊まり、薬の管理も兼ねて、朝食を一緒に作って食べてから、会社に行って、昼と夜は、母がデリバリーしたり、うちに来てもらったり。で、また、夜は父が。
買い物は最初、釣り銭を的確に出せなくなってたんだけど、そのうち、スーパーから帰れなくなり、近所の酒屋さんで保護されて、母が迎えに行ったりするようになって、日中、一人では置いておけないから、デイサービスに行くようになった。
最初は、「そんなお遊びみたいなところ。お風呂くらい一人で入りたい。一人にして」と、嫌がったけど、デイサービスの人が優しくて気持ちのいい人だったから、たまには、髪を編み込みにしてもらったり、爪を塗ってもらったりして、すぐ忘れちゃうけど、にこやかになった。

やがて、わたしの病気がましになり、夕飯デリバリー係をするようになった5、6年前には、テレビの子供や若いお兄ちゃん(特に氷川きよし)が出てくると、嬉しいみたくて、手を振るようになっていた。
もう、パキシルは必要なくなっていた。
まだ、箸を使って、自分で食べられた。でも、夜はおむつをはめるようになった。
わたしのことは、孫だと分からないけど、好きなタイプの人だったようだ。母のことは、嫌いなタイプだったみたい。好みの問題。
おむつや失禁の処理は、行きがかり上、母にやらせないから、父が一手に担った。

それで、まぁ、言いたいことを言葉に出来ない時、苛立つけど、ほかは、見た目とかも、一時は、自分で構わなくなって荒んでたけど、周りが小綺麗にするから、喋らなければ、元から口数も多くないし、ボケているとは、分からない、おっとりした、おばあちゃんになっていた。
ただ、介護を、当時はまだ働いていた父にしか、やらせてくれないという状況は無理があって、要介護認定を受けたり、ワーカーさんと話して、特養に入ることを希望したみたい。

特養では、祖母の髪は、管理しやすいように、ショートカットに刈り込まれてしまった。


そんな祖母だけど、わたしは初孫で、50歳しか違わないから、幼少の頃は、まだおばさんで、妹がたくさんいることもあり、よくおばあちゃんちに預けられていた。
というか、うちにいるより、良かったみたくて、おばあちゃんがうちに来ると、そのまま、ついていってしまい、何か月も、帰ってこなかったらしい。

おばあちゃんは、わたしが幼稚園に入る前には、祖父が病弱だったこともあり、一人で本屋さんを切り盛りしてました。

あと、料理と裁縫が得意でした。これは、だいぶ凄かったと思う。特に料理。

あと、わたしは知育玩具でなんかを鍛えられたみたいだけど、そういうので何をしたかは、覚えていなくて、覚えているのは、小さな梯子を登って飛び降りる、という遊びを、延々した時に、ずーっと、飽きるまで、止めることがなかったっぽい、という記憶があります。

もう少し、大きくなると、庭の夏蜜柑をもいで、マーマレードを作ってくれて、わたしは、好物だったので、マーマレードの歌を作って、歌っていました。
今も覚えています。マイナーコードの。
夏蜜柑の季節になると、毎年、作ってくれました。

そして、小学2年生のわたしのピアノの発表会の日、祖母の母親、つまり、曽祖母が亡くなって、わたしは何とも言えない罪悪感に襲われました。

茶色とエメラルドグリーンのリバーシブルのバッグを持っていて、最初、茶色を表にしていたけど、わたしが、緑の方が綺麗、と言ったら、エメラルドグリーンを表にして持つようににしてくれました。




それで、ここで、小学校低学年までの思い出だけれども、きりがないので、終わります。
でも、つまり、祖母は、とても賢く、優しく、気の長い人です。

それを忘れそうになります。最近、会うたび。

で、特養に入るとなって、アパートを引き上げるとき、祖母が、娘時代からずっと書き続けていた日記が出てきたですけど、かなり、面白くて、わたしは、真似して、ほぼ日手帳に書くようになった、ということです。
アメリカ軍の空襲に遭った話とか、わたしが生まれた日の話とか、祖父が亡くなった日の話とか、もっと、普通の日の話とか。

おしまい。
ばいならヾ(・ω・o)