Moody Crossing

気分屋交差点

30歳、障害認定を受けて、なるべくオープンに生きる選択

はじめに

ごきげんよう。さっこ(id:moody-theory-sakko)です。
たまたまタイミング的に30歳だった、というだけで、「選択したか」というと、その時は、そうするしかないのか? と、決断して、自分では全く動けなかったし、家族に手続きをしてきてもらっただけなのですが。
わたしは、前も書いたですが、統合失調症という精神の持病があり、障害認定を受けています。
今は、調子が良くて少しは働けるから、3級ですが、最初は2級でした。

精神障害者として生きるということについて、最初は、「人生、詰んだ」と思った話。

わたしが病気になったのは、29歳になってすぐでした。

今もって、とりたてて、ストレスや出来事などの理由は思い当たりませんが、突然、周囲の出来事が、ただならぬ雰囲気をもって感じられるようになり、やがて出たのは、いわゆる陽性症状の幻覚・妄想だけど、内容は、被害的なそれではなくて、世界の雰囲気に異変が生じて1週間後、オバマ大統領が「Yes! We can!」とか言っている様子を見て、何かが確信に変わった……て、なんだそれw だけども。

端的に言うと、テレパシーみたいなので通信したり、イタコの口寄せみたく、生者も死者も、わたしの体内に入ることができたり、世の中の全ての出来事、風が吹いた、雨が降った、とかも、何かの啓示で、誰かが、喜んだり悲しんだりしてる、と。
わたしの思考は、筒抜けだから、心の中で思うだけで、考えを伝えられる、と。

そう思いたくて妄想してる、というのは、健全な妄想であり(よかったね)、病的妄想は、最初から意味が決まっているようで、リアリティを持って、そうである、と感じるので、思考を改善する余地がありません。残念な感じです。

友人は、「時代が時代なら、シャーマンになれたかもしれないのに、惜しいことしたな」と、振り返ります。

そんなこんなで、「こんな能力は要らない。どうして、わたしなんだ!?」と、思いつつ、社会問題についての意見や改善策を、部屋で念じていました。
滑稽で、グロテスクなところもありますが、善意の人でした。

だいぶ、いってしまってましたが、やがて、2か月くらい経つと、症状が進化して、幻聴と会話が出来るようになり、独り言をぶつぶつ言っていたら、家族が気づいて、病院送りになった、ということです。

自分が病気であると認めず(いわゆる病識がない状態で)、服薬を拒否したので、入院をさせられて、薬を飲むまで、独房に閉じ込められたりしたけど、仕方ないから折れて飲んだら、初発急性期の段階だったからか、幻覚・妄想は、10日程で消えました。
ただし、入れ替わりで、祭の後の消耗状態になり、何年も陰性症状がすさまじく出たため、トイレ以外は起き上がることが出来ない状態で、少なくとも3年くらい、寝たきりになっていた、ということです。
それで、同い年平均の75%しか筋肉がなくなっちゃって、仕方ないから、起き上がれるようになってからだけど、ジムに通って筋トレしたよ。

このような症状や経過は、わたしの場合は、で、他の方は違うことも多いけど、陰性症状が主導になって以後は、世界の色彩がなくなり、現実感がなく、何も考えられず、生ける屍とは、あのことかもしれないな、と、思います。
たぶん、幻覚・妄想のイメージが目立つし、優先される風潮だけど、陰性症状の方が、根深く、つらいです。


それで、具体的な内容は、同じ病気の方のご迷惑になるかもなので、書いちゃったけど、あまり書かない。気をつける。

だけど、入院した時に、かなり早い段階で、医師から、病名の告知を受け、治療方針や、福祉の選択肢などを、提示されていました。
告知などは、される人とされない人がいらっしゃるようですが、わたしの場合は、されました。
わたしの病前の社会適応、パフォーマンス、能力的な事柄は、おそらく、高い方で、病気になってもなお、思考が妨げられる感はあるものの、気のいい感じは、たぶんだけど、維持されていたのかも。

だけど、わたしの中で、精神科って、どういうイメージだったかというと、通う人は、「腫れ物」で、気持ち的に弱く、脆く、という感じでした。
わたしは、他の人にとって、腫れ物になってしまった、と、思ったものです。

なんだか、そういう病気に、それほど、偏見はないと思っていたけど、厳然と、わたしの中には、あったのです。
病気になる前は、精神の病気を持つ人は、神秘的な存在でさえあったけど、現実問題として、そんな良いものではなく、この手の病気の人に、わざわざ寄り添うか、と言ったら、答えは、否だったはず。めんどくさそうだし。

そして、入院中の看護師が、散歩中、
「日陰に咲く花でもいいじゃないの」
と、詩人のようなことを言った時、ぼんやりと殺意すら覚えたですけども、もはや、社会的に、ばりばりと活躍することを目標として努力することを放棄しても許される側の存在になったことを知りました。
29歳までのわたしの予定では、ばりばりと働いて、配偶者の経済力によらず、好きな人(ヒモでも養うよ!)と一緒に、楽しく過ごす、はずだったのに、あんまりじゃないか、と、思ったですよ。
うん。ちょっとマスキュリンでした。

初診1年半後、30歳で、障害認定を受けた。

それで、気長に回復まで待てなかったというか、実際、9年後の今のように、そこそこ、日常的なことを楽しめるように戻るとは、全く思っていなかったので、障害認定を受けて、別途障害年金も申請して受給し、生活を立て直すというか、せめて、経済的に、いくつまで生きるかわからないけど、守りに入っていった、ということです。

病気になったことは、近所の人には、家族の都合もあるから言ってないけど、職場や友人にはオープンにしています。
たまたま、わたしの周囲の人は、優しかったです。

ただ、最近でも、知り合いから、男の人を紹介されて、初対面でいきなり財産がどんだけある、とか語っていたくせに、病気と知って、サーッと引いていったりとかは、するよ。
まぁ、そんなやつ、帰れ帰れ! だけど、それなりに、凹むこともあります。

おわりに

たぶん、今、わたしは、見た目にはわからない障害者だと思います。
言動とかも、普通かもしれないです。

次の障害年金申請では、おそらく、認定されないので、また、ばりばりと頑張りますモードに切り替えていかなければならないけど(今も、厚生年金の掛け金は払っているよ。老後のために)、いかんせん、病前比で、異常なまでに疲れやすい身体(というか脳)で、生活のバランスが、楽しめないもの、もしかして再発リスクを取らなければならないものに変わるかもしれません。
フルタイム、いけるかな?

なかなか悩ましいですが、今は、動くことが出来るし、病気になって、その後、そこそこ回復してから、動くことが出来るなら、いろいろちゃんと頑張らないといけないな、と、思うようになりました。

がんばります! ほどほどに。

あと、病気についての記事は、「持病」というカテゴリーにぶち込んでいたかもなので、気が向いたり、興味のある方は、クリックできますよ。


おしまい。
ばいなら(。・∀・)ノ゙




特別お題「『選択』と『年齢』」

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